永遠の命と老いる事の無い身体、即ち不老不死を求めた権力者は少なくないですよね。

例えば秦の始皇帝もその一人と云われているのは有名な話。

私の思うに、権力者では無くても、多くの人間が老いに抗い美容に良いとされるモノを求め、死に抗い身体と健康に良いモノを求め、最終的には死への恐怖から逃れるために宗教に救いを求めてゆく。

死に抗う科学と云えば西洋医学(外科)と(生命)工学が思い浮かぶと思います。

関節が壊れたから人工関節、心臓の弁が壊れたから人工弁、血管が破れたから人工血管など・・・。

更には手術をする為のロボットの開発と進化・・・

私は西洋医学の進化は、(生命)工学と融合が進み、行き着くところ銀河鉄道999の中で登場する機械人間なのではないかと、言葉では上手に表現できない不安を感じる事がある。

このまま進歩して行ったら、見た目が人間の様な(メーテルの様な)機械人間が現れてもおかしくないんじゃないかな?

注)工学とは我々の生活を豊かにする製品・技術を開発する学問と定義する。

それは人間と言えるのであろうか?

そもそも人間は一体何を求めて生きているのか?

いろいろ思うところがあるのだが、最終的には時間を求めているのではないかと私は思う。

人間に与えられた時間は間違いなく有限であり、その間にいくつもの欲望を叶えようとしている。

医学と工学が発展していない時代では、生命体は種の繁栄、即ち子孫を繁栄させる事で遺伝子を介して時間を繋ぐいく事を目的としてたはずである。

しかしながら医学と工学が発展し、だれでも長く生きる(長く時間を使える)可能性が見いだされてくると、子孫の繁栄より自分自身に永遠の価値を求めだしている個体も増えているのではないかと思われる。

その個体の欲望が行くつく先は銀河鉄道999で書かれていたような機械人間ではないか?
それは生命工学と西洋医学の融合により生み出された人工的な肉体であり、脳は人間のモノなのかもしれない。脳が存在するのならば、まだそれは辛うじて人間と言えるであろう。

しかし、脳細胞も永遠に生き続けることは不可能なはず?
という事は脳の代わりとして、きっとAIが脳の思考パターンを学習し、その個体を演じ続ける事は可能であると考えらえる。

そうなればその機械人間は人間なのだろうか???

疑問である。

人間とは魂が操る有機体で構成された人形であると仮定するならば、魂が操れるのはどこまで無機質なモノによって改造が許された人形なのだろうか?

人形を魂が操れなくなった時点で、その人形は人間ではなく、機械になるのではないか?

即ち、AIが操る機械人間になってまでこの世に存在し続けても、その存在はもはや人間ではないのだから、永遠の命を手に入れることは不可能だと考えられるのだ。

永遠の命が手に入らなのであれば、人間としてたくさんの子孫を残し、”志”を子孫に引き継いでもらう事でしか時間を超えた生命体の最終的な目的を手に入れることは不可能だと私は考える。

勿論、今生きている我々も何かしらの”志”をご先祖様から引き継いできたはずである。

また、何らかの理由により自分の子孫(遺伝子)を残せなかったとしても、志を継いでもらえることは可能だと考えられる。心の傷を埋めるための消費者に寄り添ったインチキ情報誌に惑わされ、間違った方向で人生を謳歌し、自分勝手に人生を逃げ切る事だけを考えていては、次世代に志を継いで貰う事は不可能であろう。

本当の永遠の命とは志を引き継いでもらった誰かに語り継がれ、誰かの記憶の中で生き続ける事だと私は結論付けたい。

 

松浦鍼灸院 院長 松浦哲也


 

~追伸~

人間の生きる目的とは誰かの志を引き継ぎ伝える事。

拝金主義では達成できぬ目的であり、その志に気づけぬ者は魂の輪廻を迎えることが出来ないのであろう。

多くの宗教が拝金主義に陥ってしまっている現状はなぜなのだろうと疑問が残る。